わがまち自慢委員会では、引き続き美浜の祭りに関する資料・データの収集をはじめ、あまり知られていないけど、ひょっとしてこれは「美浜で一番」(あるいは県・地域・全国で一番)なのでは?というものや、「へぇ~」っと思うもの、「町内遺産」になるのではというものなどを探しています。そして、地域ごとにそういったところを巡ったり、体験するツアーを「わがまち探険隊」として企画していきます。
美浜の中心はどこ?、最東端・最西端・最南端・最北端・最南端、一番標高の高い地点、逆に低い地点、一番多い姓は?、変わった風習、食べ物、生産物、収穫(漁獲)物、一番古い家(建築面でも歴史面でも)などなど、「一番」「知られていない」「町内遺産」をキーワードとして探しています。
情報(名乗りでも結構です)があればぜひお知らせください。
集落の自慢や、家に伝わる風習や家宝、特殊能力?などでもOKです。根拠がなくても、そう思うというだけでもOKです。
右の「ミハマニア!大募集」からどんどん投稿お願いいたします。
わがまち探検隊第3弾は天王山(てんのうやま)山頂に鎮座する廣峯神社を訪ねて参道(登山道)をトレッキングしました。
美浜町のどこからでも望める天王山ですが、案外登った人は少ないのでは。
この廣峯神社は毎年4月23日(現在では近い日曜日)に、和田・木野・坂尻・佐柿が各々に例祭を行っているということです。この例祭には玉砂利(マナゴ)を持って登拝することになっています(御霊を鎮める意味らしい)。
廣峯神社(天王社)は牛頭天王(ごずてんのう)とも呼ばれるスサノオノミコトを祀った社であり、総本宮は姫路市の広峰山山頂にあります。
天王山の名称は廣峯神社が天王社と呼ばれたことから天王社を祀る山ということで、そう呼ばれたと思われます(かつては火打山・小富士とも呼ばれていたそうです)。
天王山は、美浜町の海岸線の中心にあって、眼下に町内全域を見下ろし、疫病を鎮め災厄を祓うべく、防災の守り神として廣峯神社が祀られた、きわめて神聖な山にほかなりません。
山頂を目指して歩きます。距離は長くないですが、上りが続くので、結構登りがいがあります。
休憩を4回はさみ、約1時間で廣峯神社に到達しました。
登る前に和田海岸で拾ったマナゴ(玉砂利)を手に、参加者及びスタッフ全員が廣峯神社に参拝しました。
中には、下の写真のようなハートの形をした石を持ってこられた参加者の方も。
廣峯神社あたりが山頂と思いきや、実は山頂は神社より東に広がる林の中を進んだところにあります。山の上は広く平地となっていて、展望はあまりよくない反面、優しい光が注ぐ緑に囲まれ、気持ちの良い場所になっています。お弁当を広げるのにちょうどいい場所です。
廣峯神社参拝の後はその山頂へ。○×式の天王山クイズを解きながら天王山と防災のの豆知識を知ってもらい、お弁当タイム。お抹茶サービスもあり、みなさんに楽しんでもらいました。
大男が担いできた山(いいつたえ)
~大昔そのあたりは何もない野原であったが、ある日大男がモッコに山を入れて、大きな丸太棒を担い棒にしてその両方に引っ掛けて担いできた。一休みするために山をおろし、担い棒を放り投げるとそこがくぼんで水が集まった。こうしてできた山が天王山と御岳山(おたけやま)で、くぼんで水が集まったところが耳川になった。また、大男が腰かけたところが小倉山で、頂上が平らになってしまい、わらじの土を払ったら城山(じょやま)ができた。なんでもこの大男は弁慶という大変な力持ちで源義経という侍と力比べをして、その辺にあった大岩をつかんで力いっぱい投げたら、新庄から江州(滋賀県)へ越える峠道のそばに落ちた。その大岩をくりぬいて馬頭観世音が祀ってあるが、弁慶がつかんだ証拠に親指と人差し指の大きな穴が二つ空いているそうだ。~
広峯神社(Wikipediaより)
廣峯神社(ひろみねじんじゃ、略体など: 広峯神社、広峰神社)は、兵庫県姫路市の広峰山山頂にある神社である。 全国にある牛頭天王の総本宮(ただし、八坂神社も牛頭天王総本宮を主張している)。 旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。別称広峯牛頭天王。天平の昔から名の見える古社である。
『播磨鑑』には「崇神天皇の御代に廣峯山に神籬を建て」とある。天平5年(733年)、唐から帰った吉備真備が都へ戻る途中この地で神威を感じ、それを聖武天皇に報告したことにより、翌天平6年(734年)、白幣山に創建されたのに始まると伝えられる(広島県福山市の素盞嗚神社の社伝によれば吉備真備は備後から勧請したという)。天禄3年(972年)に現在地の広峰山頂に遷座した。延喜式神名帳には記載がないが、『日本三代実録』貞観8年(866年)条に「播磨国無位素盞嗚神に従五位下を授く」との記述があり、当社のことと見られる。また、この牛頭天王という神は陰陽道にとって非常に重視される神であるが、創建者とされる吉備真備は陰陽師であったとされ、広峰神社が陰陽道と浅からぬ関係にあったものと推察される。
牛頭天王に対する信仰は、御霊信仰の影響により、厄いをもたらす神を祀ることで疫病や災厄を免れようとするもので、祇園社(八坂神社)の「祇園信仰」が有名であるが、当社においては主として稲作の豊饒を祈願した内容の信仰となった。これを「広峯信仰」と呼び、当社が古くから農業の神として崇拝された所以である。
牛頭天皇(Wikipediaより)
牛頭天王(ごずてんのう)は日本における神仏習合の神。釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされた。蘇民将来説話の武塔天神と同一視され薬師如来の垂迹であるとともにスサノオの本地ともされた。京都東山祇園や播磨国広峰山に鎮座して祇園信仰の神(祇園神)ともされ現在の八坂神社にあたる感神院祇園社から勧請されて全国の祇園社、天王社で祀られた。また陰陽道では天道神と同一視された。道教的色彩の強い神だが、中国の文献には見られない。
美浜町の旧荒井用水水路をたどりながら、クイズを解き、大谷原のサツマイモや久保なすの漬物、上野きゅうり、しじみ汁など、ご当地の季節の味
美浜町土地改良区の田中雅実さんに荒井用水の歴史とその周辺にまつわる逸話などのお話を聞
荒井用水の歴史は古く、元々美浜町野口~興道寺まで整備されていたものを行方久兵衛(1616-1686、若狭小浜藩士・荒井用水完成後は勘定奉行、浦見川治水工事で知られる)が現在の金山・大藪地区まで延長し新田を開発した。これらの地域が荒井地区と呼ばれるのもこれに関連していると思われる。総延長は約7km。
美浜町には大きく耳川右岸一体をカバーする元井用水と左岸一帯をカバーする荒井用水とがあります。現在荒井・元井の両用水はパイプライン化されていますが、水路は現在も一部を除いて残っています。
上野集落を流れる荒井用水水路(現在も水は少量であるが流れている)にてアイテムレースを行いました。
~メイド・イン・スガハマ~ 塩作り&歴史探訪
平成28年5月22日(日)に、菅浜~丹生~竹波地区の史跡探訪と、菅浜で盛んに行われていたという、海水を土器に入れ煮詰める方法での塩作りを土鍋で再現してみました。
まず、海水を汲み土鍋に入れ煮詰めていく間、製塩係を残した一行は、菅浜の塩田跡と当時の製塩方法、丹生の浄土寺遺跡の古墳群、竹波の高那彌神社(たかなみじんじゃ)の日本最古?の石造九重の塔などを巡り、塩作り現場に戻り、塩作りの仕上げを行いました。そして海水から作った塩で味付けしたおにぎり、焼き魚を味わい、天然の塩のおいしさを実感しました。
第2弾もお楽しみに!