奇祭!新庄の八朔祭り

五穀豊穣を願った新庄の八朔祭りは毎年9月1日に行われます。もともとは旧暦8月1日でしたが、明治の改暦後1月遅れに変更されました。新庄は福井県美浜町の南に位置する山間部の集落で、その集落が東字(ひがしあざ)、西字(にしあざ)に分かれ、午前中は東字、午後は西字がそれぞれの公会堂から朱塗りの大角樽(おおつのだる・樽神輿といわれる)を担ぎ日吉神社まで村通りを練り歩き、奉納します。

天狗が男根で若い女性を!!

東字の天狗(装束は黒)
東字の天狗(装束は黒)

400年続くともいわれる新庄の八朔祭りは福井県内で一番エッチな奇祭と言われています。というのも、東字、西字それぞれに奉納する樽を担いで日吉神社へ向かって練り歩くあいだ、男根を模した神棒を持った天狗が、(若い?)女性をその神棒で突っつくために追いかけまわします。その神棒で突かれると子宝に恵まれると言われています。かつては家の中まで入りこんで女性を追いかけていたそうです。

子孫繁栄と五穀豊穣とは同義であり、この男根祭りを行うことで五穀豊穣をも願っているのです。

西字の天狗(装束は赤)
西字の天狗(装束は赤)

天狗は神であり、わらじを履き、帽子をかぶるという旅の格好をしています。

なお天狗は猿田彦命(サルタヒコノミコト)であり、天孫・瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が降臨する際の案内役として知られています。そのことから樽神輿の案内役(露払い)という位置づけであったそうです。また、別項で取り上げている「三つの王の舞」を舞う「王」も天狗の面をつけており、猿田彦命であるとされています。

世相を反映したオドケ
世相を反映したオドケ

天狗の周りには「オドケ」と言われる世相を表現した仮装衆が加わり、祭りを盛り上げます。オドケは祭りの間は声を発してはいけないことになっています。東字のオドケの場合、警官、婦人、乞食は必ず存在することになっています。

天狗とオドケの役割は、東字・西字とも当日の朝発表されるそうで、朝公会堂に集まっているときに突然肩を叩かれて別室に連れて行かれ準備をさせられるとのことです。

もともとは天狗とオドケは、樽神輿の道を開けるために出されたものとも言われています。

東字と西字とでは同じようで全く違う

東字の行列
東字の行列

祭りの流れは東字も西字も、それぞれの公会堂から大きな樽を担いで、日吉神社へ向かい、奉納します。その間に天狗とオドケが出没するという基本的なことは同じです。しかし全く違うといっていいほど大きな違いがあります。午前中は東字の祭り、午後は西字の祭りと言われ、地元では区別されています。そのため、祭りの主役である天狗も東の天狗と西の天狗の二人います

(左の写真のトンネルは大正14年に地元の寄付により作られたアーチ型構造の田代隧道で、田代(たしろ)地区と馬場(ばんば)地区とをつないでいます。小さい車なら通行可能で、今でも現役で利用されているトンネルです。)

東字の樽(中学生が担ぎます)
東字の樽(中学生が担ぎます)

午前中の東字の祭りは、公会堂(年毎に寄積(よりつみ)地区の公会堂と田代地区の公会堂とに交替します)前に樽と囃子の行列の先頭にのぼり持ちの男児1名と酒かきの女児数名が立ち、樽は囃子と共に厳粛に日吉神社へ向かいます。出発の際は伊勢甚句、道中は祇園囃子、樽を納め神事の間はみこしあげ、ほていしあげ、やましあげの囃子が奏でられます。

天狗の衣装は黒、面の鼻の先端は丸く色は赤っぽい感じです。行列の進行中は囃子が奏でられます。厳粛な行列と囃子が東字の見どころです

西字の樽(暴れ樽)
西字の樽(暴れ樽)

一方午後の西字の祭りでは、樽は暴れ樽とよばれ、八朔襦袢をまとった若者が、八朔音頭(時に替え歌で文面では表せないような内容も)を歌いながら、道中を走り回ります。囃子はありません。昔は樽が壊れたり、建物にぶつかって建物が壊れたりということはざらだったそうです。

天狗の衣装は赤、面は茶色っぽく、鼻の先はとがっています。

暴れ樽の勢いのよさが西字の見どころです。 なお、午前中は東字の祭りで西字は見守り、12時を過ぎると西字の祭りとなり、東字は見守ることになります。なお、東字の連中は午後の西字の祭りが始まる前に完全に撤退していなければならない決まりがあるそうです。東字は午前の祭りがすむと公会堂に戻り、直会を行います。

八朔音頭

西字の樽神輿を担いで練り歩く(走り回る)間、担い手によって歌われるのが八朔音頭です。原歌は下記のとおりですが、途中替え歌に変わります。その替え歌の内容は放送禁止用語(下の方)盛だくさんで、実際に聞かないと、この場で紹介はできません。

=八朔音頭=

・今年ゃ豊年 穂に穂が咲いて(ドッコイサージャ)

 道の小草も 米が成る(ドッコイサージャ チョイトヤーレ)

・道の小草に 米成る年は  山の木萱に 金が成る

・二百十日の 風さえ吹かにゃ  枡は取りのけ 箕で計る

・おらが在所へ 来て見やしゃんせ  米の成る木が おじぎする

・米の成る木で わらじを作り  踏めば小判の 跡がつく

・あの娘よい娘じゃ わし見て笑うた  わしも見てやろ 笑うてやろ

・電信柱にゃ ツバメが止まる  可愛いあの娘にゃ 目が留まる

・お前さんとなら わしゃ何処までも  ついて行きます 何時までも

・お前百まで わしゃ九十九まで  共に白髪の 生えるまで

・新庄七村 八千八谷  通う嫌谷 好きや谷

・新庄谷から 蛇が出たじゃげな  太い蛇じゃげな うそじゃげな


↓↓↓祭りの様子の動画は下にあります ぜひご覧ください↓↓↓


▼八朔音頭(mp3・一番のみ)

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八朔音頭.mp3
MP3 オーディオファイル 744.7 KB
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新庄八朔祭りのルート
新庄八朔祭りの東字と西字のルートです。このルート沿いに行列、天狗、オドケが出現します。東字は田代(たしろ)、寄積(よりつみ)、奥(おく)をいい、西字は馬場(ばんば)、岸名(きしな)、浅ヶ瀬(あさがせ)、松屋(まつや)をいいます。(※この地図上には奥、浅ヶ瀬、松屋はありません)
shinjouhassakuroot.pdf
PDFファイル 1.8 MB

ここに注目!

・もともとこの祭りは西字だけのものであり、東字にはなかったそうです。西字の学友会(中卒以上の未婚の男性で構成され、これに入らないと祭りに参加できない)が中心となって行われていた祭りだということです。人口の減少などの理由から東字も含めた祭りとなっていったようです。

 

・西の樽は一番樽(奉納する)、二番樽(奉納しない)、三番樽(奉納する)があり、昔は、一番樽は小若衆(こわかいしゅう)と呼ばれる学友会でも年少の者と小若衆上がり、二番樽は大若衆(おわかいしゅう)と呼ばれる年長者、三番樽は全員で担ぎ、樽も毎年弁柄(べんがら)で塗りなおしたそうです。

 

・現在は公会堂に集まりますが、昔は「ヤド」と呼ばれる当屋(とうや・祭りの責任者)宅に集まったそうです。

 

・昔は樽には酒(どぶろく)が入っていて(樽には6斗・108ℓの酒が入るそうです)、見物客にも振る舞ったとのこと。(ドブロク祭とも呼ばれていた)

 

・祭り終了後には東字も西字も合同で盆踊りが行われていたそうですが、現在は行われていません(昔は祭りは男女の出会いの場でもあった)。

 

・米俵や炭の束を担いで力自慢をしたり、相撲をとっていたこともあるそうです。

新庄八朔祭りフォトギャラリー

▼東字の八朔祭り(午前中)動画(2013.9.1)

▼西字の八朔祭り(午後)動画(2013.9.1)

▼地元新庄の人へインタビュー敢行