日向の水中綱引きは、1月15日の小正月(現在は第3日曜日)に行われる。長床で伊勢音頭を唱い終えると、色とりどりのハチマキ、さらしの腹巻、パンツ一つという出で立ちの若衆が、青年会長を先頭に、威勢良く飛び出し、様々の大漁旗が吊るされたたいこ橋(日向橋)の上まで駆け上がり、欄干の一番高いところに上がった若衆や厄男は、勇壮な掛け声とともに次から次へと真冬の海中(運河)に飛び込んでいく。飛び込む者は以前は20代前後の若者が中心であったが、現在では飛び込む若者が少なくなり、平均年齢は高くなっている。
海中に飛び込んだ若衆は、泳いで綱の東西に別れ、身を切る冷たさの運河の中で全身を真っ赤にしながら、威勢のいい掛け声とともに引っ張ったり、ほどいたりしながらより早く綱を切ろうと競いあう。十数分で東西いずれかの綱が切れ、大きな歓声の中、水中綱引きは終了し、綱は海に奉じられる。
水中綱引きの由来は大蛇が日向川に現れ、悪病や災いをもたらしたため、その大蛇を退治したという言い伝えを再現したという説や、藁で大蛇よりも太い綱を作り、それを日向川の対岸に架け渡して追い払ったことにあやかったものとも言われている。また、わかさ美浜町史「美浜の文化第一巻 暮らす・生きる」によれば、寛永12年(1635年)に小浜藩による運河の開削工事が行われたことが古文書調査により平成5年に判明し、「大蛇退治を象徴するとされる綱引きは、実は災害復旧のための岩石、土砂の除去作業を表した可能性が強い」(『読売新聞』1993.1.14)とする見解も公表されていると記されている。
戻る