王の舞(おうのまい・地元では「おのまい」と呼ばれる)は、美浜町の3つの神社(宇波西(うわせ)神社、彌美(みみ)神社、織田(おりた)神社)の例大祭で奉納されており、若狭地方では実に16の神社で奉納される舞で、特定の地域に数多く存在することは非常に珍しいことのようです。王の舞はもともと舞楽「蘭陵王(らんりょうおう)の舞」に由来し、「蘭陵王の舞」→「竜王の舞」→「王の舞」と変化したものという説もあれば、面をかぶった舞手の発音から「オの舞」と呼ばれていて、それに「王」の字をあてたという説もあります。
各神社で奉納される王の舞は、中世にまでさかのぼる古い時代の貴重な伝承です。平安末期、後白河院の意向により作成されたという「年中行事絵巻」の祇園御霊会や稲荷祭の場面の中に、王の舞・獅子舞・田楽・細男・巫女などが描かれています。王の舞は裲襠(りょうとう)装束に鼻高面、鳥兜をかぶり鉾を持つ姿で描かれており、宇波西神社の王の舞の姿とそっくりです。やがてこれらの芸能は地方へ伝播していきますが、それは地方の荘園鎮守社の祭礼に、領家である中央の大社寺の祭礼形態や芸能構成を模したものを導入したためと考えられています。若狭においても、王の舞などの芸能が行われる神社には、その祭祀圏(氏子圏)がかつての荘園の領域と重なり、荘園鎮守社であったと考えられるものが多くなっています。
王の舞は、赤い装束に天狗の面というスタイルが基本となっていますが、舞い方は神社によりかなり違ったものになっています。
天孫降臨神話の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の案内役である猿田彦命(サルタヒコノミコト)を表したものだといわれ、若狭地方に王の舞が多いことや、神話に記された地理上の整合性から、天孫降臨の地は宮崎県日向(ひゅうが)の高千穂の峰ではなく、福井県美浜町日向(ひるが)の梅丈岳であるという説もあります。(故・友田吉之助(島根大学名誉教授)が著書『天孫降臨の原義』の中で提唱した説)
(一部引用・参考文献:わかさ美浜町誌「美浜の文化第四巻 舞う・踊る」)
宇波西神社の王の舞
彌美神社の王の舞
織田神社の王の舞