1月3日、早瀬の蛭子神社では、狩衣をまとった代祝子(ほおり)が厄や病気などを払う「悪魔矢」1本を海に向けて、商売繁盛や大漁を願う「祝い矢」2本を陸に放つ浜祭りが行われる。
1本目の悪魔矢は
「当浦へ参ろうまじきものは、天下の不浄、内外の悪神、病むということ、風の難、火の難、千里の外へ射やろう」
と大声で叫び海に向かって放つ。
ついで
「当浦へ参るべきものは、京の白河、銭、米、七珍万宝、富、幸、美濃の国の糸、綿、当浦へ納まる」
と2本の福矢を家並みの上に向けて射る。(引用・参考文献:わかさ美浜町誌「美浜の文化第一巻 暮らす・生きる」)
浜祭りを終えると、沖の堂(極楽堂)へ移動して「堂の講」が行われる。その年の当番(担当役)が、ハナドリと呼ばれる2本の棒を打ち鳴らしながら、次々と魚の名前を挙げながら堂内を回り、最後に「コウナゴ」の名前を挙げると、参加者が「タカリ(魚群)があがった」と叫び、担当役の頭にタモ網をかぶせ、祭礼は終了する。
(参考文献:わかさ美浜町誌「美浜の文化第一巻 暮らす・生きる」、森隆男著「民族儀礼に残る早瀬の歴史)
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