若狭町気山の宇波西(うわせ)神社の例大祭は毎年4月8日に行われます。若狭町は隣の町ですが、美浜町の北地区(日向、笹田、早瀬)、南地区(久々子、松原、気山、大藪、金山、郷市)は宇波西神社の氏子であり、宇波西神社の場所もちょうど美浜町と若狭町の堺に位置しています。
宇波西神社の御祭神は日子波限建鵜草葺不合命(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト・神武天皇の父)で、宮崎県日向国から美浜町の日向(ひるが)湖に来られたと伝えられています。
この宇波西神社の例大祭に奉納される王の舞(おのまい)は国の選択無形民族文化財に指定されています。王の舞は正午頃から始まり、装束は朱色で金糸の柄入り、頭には鳥兜、天狗の面はやや茶色っぽく、鼻はごつごつして先がとがっています。
舞い手は青年で海山、北庄、大藪、金山の4集落のみが年毎に順に王の舞を舞うと決まっていますが、王の面と手に持つ鉾のみが同一で、舞い方や衣装、囃子の笛の旋律や太鼓の拍子等には違いがあります。
「上瀬宮祭礼神事次第写」(大永二年〔1522〕)によると、「三月ヨリ大御神事祭礼の次第 但口明の事」として、田楽村(三月朔日)・海山(同三日)・早瀬浦(同六日)・日向浦(同六日)・くるミ浦(同六日)・大やふ村(同六日)・金山村別所両所・神子ノ村の各村の名が書き上げられ、祭礼を前に各村で口明けの神事が行われていることがわかります。そして「三月八日神前ニ上前数之事」として、祭礼当日には、田楽村・しゝの村・王ノ村・早瀬浦・日向浦・くるミ浦・神子ノ村・海山・供僧それぞれから神饌を供えています。
田楽村・しゝの村・王ノ村・神子ノ村はそれぞれ田楽・獅子舞・王の舞・巫女舞を担当する村または集団のことです。このうち王ノ村は「口明の事」には見えず、逆に大薮村と金山村が、神饌の書き上げには見えないことから、大薮と金山は王ノ村を構成する村であったと考えられます。ここに名前の見えないのは郷市村・松原村・久々子村・気山村ですが、しゝの村は郷市・松原・久々子などの住人たちを中心に、田楽村は気山の住人を中心に構成されていたと推測されます。不明なのは神子ノ村ですが、同文書には「御子ひかん 七日の間御子屋にこもり上下五人」と記されているので、神社に所属する職能的な巫女集団であった可能性が考えられます。
(当項引用・参考文献:わかさ美浜町誌「美浜の文化第四巻 舞う・踊る」)
海山の王の舞 海山区の舞当番は干支で、卯・巳・酉・亥年に回ってきます(六年に二度、二年・四年周期)。海山は北庄と共に王の舞の発祥の地と言われています。
①道中の舞 境内の太鼓橋まで一直線に七度繰り返します。
②本舞 太鼓橋を渡って本舞の場所まで進み、拝殿に向かって境内を反時計回りに四角く三回まわります(三べん返し)。その間、鉾を大きく身を反らせながら掲げたり、前屈して左右に大きく振ったり、さすったり、片足で飛び跳ねながら天を突き刺すように振り上げて舞います。
③オテテノテッテの舞 拝殿に向かってジグザクに進みながら舞います。
④雀踊りの舞 最後は、鉾を拝殿前の幣差しと呼ばれる男性に渡し、三回半、片足を交互に上げ飛び跳ねるように円を描いて舞を終えます。
舞い終わると、両手を合わせて、日向区の渡邊六郎右衛門氏が捧げ持つ「伝説の宝刀」を仰ぎ、拝殿に大きく一礼して王の舞を終了します。
大薮の王の舞 大薮区の舞当番は、干支で閏年の子・辰・申年に回ってきます。(四年に一度)
①みちびきの舞 地面を擦るようにゆっくりと太鼓橋まで(七歩)進みます。
②本舞 片手鉾睨み三回、片手鉾振り三回、鉾さすり三回、しゃがんで鉾を前に突き出すように立ち上がる鳥足を繰り返しながら、反時計回りに四角く三周します。
③雀踊り(オテテノテッテの舞) 両手鉾振り、鉾廻しの後、笛の調子がオテテノテッテに変わり、オテテノテッテの舞が始まります。両手鉾睨みが終わると、御幣さしの男児(子供)に鉾を預けて、左・右・左・・・とジグザグに本殿に向かって跳び、両手でかいぐりかいぐりの所作をおこないます。
最後に日向区の渡邊六郎右衛門氏が捧げ持つ「伝説の宝刀」を仰ぎ、両手を合わせて大きく拝み王の舞を終了します。
金山の王の舞 金山区の舞当番は、干支で寅・午・戌年に回ってきます。(四年に一度)金山の王の舞は海山から大薮へ手抜きして伝えられたのち、さらに簡便化して伝えられたとされていますが、海山や大薮とは明らかに大きな違いがある舞となっています。
①道中の舞 大薮と同様
②本舞 反時計回りに四角く一周舞い回ったあと、舞戻しといわれる逆回り(時計回り)に一周舞い回ります。
③三々九度の舞 金山区独特のものです。
④雀踊り(オテテノテッテの舞) 御幣差しに鉾を預け、ジグザクに飛びながら本殿に向かいます。
最後に日向区の渡邊六郎右衛門氏が捧げ持つ「伝説の宝刀」を仰ぎ、両手を合わせて拝み王の舞を終了します。
北庄の王の舞 北庄区の舞当番は六年に一度、丑・未年に回ってきます。海山の小字の一つで、王の舞発祥地との言い伝えがあります。
舞い方はほぼ海山と同様ですが、雀踊りはオテテノテッテの舞が終わった地点で、左右に一度ずつ繰り返して王の舞を終了します。
(当項参考文献:わかさ美浜町誌「美浜の文化第四巻 舞う・踊る」)
・オノマイさん(舞手)が舞い始めるまでの間は、できるだけ時間を引き延ばすのが良いとされています。
・氏子の間ではオノマイさんを押し倒すとその年は豊年と言い伝えられているため、棒を持った舞担当集落の警護役多数がオノマイさんが押し倒されないように警護しています。
・大薮区では、海山から大薮の「彌太夫」家へ婿入りした婿が、婿入り道具として「王の舞」を伝え持ってきたといわれています。
・気山駅方面から宇波西神社へ向かう参道の両側には昔は松が茂り、松の並木道となっていた。この辺り一帯はかつては松林で、近くには「恋の松原古墳」という古墳があり、男女の悲しい伝説が伝わっています。